ノエビア衣山代理店 営業時間:10時~21時 |
東温市にある渓谷、滑川渓谷に行ってきました。
約1kmにも広がる一枚岩「ナメラ」の川床を滑るように流れる水によって、長い年月をかけ少しずつ侵食された跡が幻想的な景色を創り出している。やわらかい新緑が美しい春、深緑の森とのコントラストが映える夏、真っ赤に染まる紅葉の秋、辺り一面を白に染める冬、どの季節も素晴らしい景観。長い歳月の流れを感じながら、四季折々の渓谷の表情を楽しめる。
と、いよ観ネットで紹介されている通り、私が行ったのは8月でしたので、緑が気持ちよかったです。
普段そんな自然大好き!!ってわけじゃなくても、緑が揺れて、風とか、光とか、水の音とか、鳥の声とか!!!大地の力を感じずにはいられなかったです。
ビール買ってって、瀧を眺めながら飲みました。
最高でした!!!
その永い一枚岩、『龍の腹』って言うそうです。
飛行機のお腹と、ペンギンのお腹はよく見に言ってましたが、龍のお腹は初めてでした。
さてさて、夏は終わり、また秋がストンとやってきましたね。
今度は紅葉をみに行こうと思います。
お父さんとドライブ。
「みき~、久万高原に蕎麦食いに行こうや。」
「え?今から?いーけど、そんな運転するなら、手袋買ってからがいい。mont-bell開くまで待ってや。」
「mont-bellやなくてもえーやろが。100均とかスーパーとかじゃいかんの?むしろ、手袋いるん?」
「えーー、やだぁ。mont-bellがいいし、手袋ないと日焼けするー!やだぁー!」
と、バトルし、もちろん私が勝利!手袋を買ってから、久万高原へ出発~。
久万高原の若宮。
大将の実家の古民家を、大将がDIYしたらしい。
近所の方がお手伝いに来てて、お茶運んだり、お庭の手入れしてたり。
誰がお客さんで誰がお手伝いのご近所さんか、わかんなかった(笑)
若宮の後は、ルタンナチュラルと言うケーキ屋さんに行ってきた。
それはまた次の記事で!
久万高原、久しぶりに来たけど、こんなキレイなんだなぁ。
四国中央市のあじさいの里に行ってきました。
途中、西条市小松町のパーキングに寄って、、
太刀魚のなんてゆーんだっけ?すり身を棒にまいて焼いてるやつ!!
とにかく、美味しかった!
ビール売ってなくて、ノンアルだったけど。
アジサイロード到着!!
ふつうに、山奥の道路沿いにあります(*'▽')
満開ではなかったけど、キレイでした。
コロナの影響で、誰もいなかったなぁ。
モノレールも動いてなかったしので全て歩き!
ちょっと一休み。
なんか、アリエッティ住んでそうだよね。
茶畑。
四国中央市って霧の森大福だよね!
って、ことで、霧の森レストランで茶そばを食べました。
茶そばもおいしかったけど、お豆腐も!!!トロトロで美味しかったです。
大正浪漫を今に伝える、日本が誇るフランス風洋館、萬翠荘に行ってきました。
萬翠荘は、大正11年(1922年)旧松山藩主の子孫にあたる久松 定謨(ひさまつ さだこと)伯爵が、別邸として建設したものです。
(※久松家は菅原道真の子孫)
久松伯爵は、フランスに長く住んでた陸軍駐在武官(サンシール陸軍士官学校に留学。のちにフランス公使館附駐在武官になる。)で、純フランス風の建物がお好みだったそうです。
建設費は約30万円。
今で言うと、19億円。
めちゃめちゃこだわって建てたそうです。
久松伯爵は、わかりやすく言えば、伊予のお殿様(松山藩主)でした。フランスに留学して、本当に陸軍で仕事して、陸軍を辞めた後に萬翠荘を自腹で建てました。
陸軍で稼いだお金では到底建てれませんが、松山藩の財産を相続していたから、お金持ってたって訳です。
萬翠荘は、当時最高の社交の場として各界名士が集まり、皇族方がご来県の際は、必ず立ち寄られたそうです。
確かに、集まってそう!立ち寄ってそう!
朝食を食べるためだけのお部屋がありました。
晩餐会は、一階の広間で行われていました。
朝食のお部屋とは違う雰囲気です。
現在は各種イベント・個展など、随時開催されています。
萬翠荘は戦禍を免れ、建築当時の様子をそのまま残しています。
大正浪漫かぁ。
とにかく!変わりたい!
新しい物取り入れたい!
世界に羽ばたきたい!
世界に肩を並べたい!!
って、思いがシャンデリアみたいにキラキラしてたんだろうなぁ。
めっちゃめっちゃこだわって建てた萬翠荘を見た市民はきっと、
「なんなんあれ?あの建物?」
「フランス風やってー!」
「へぇーー。そうなんや~。やけど、フランスって??どこ?」
「知らんの??伯爵さんが行っとったとこよー。」
「へぇーー。どーやって行くん?遠いんやろか?」
「そりゃ、遠いわい。」
なとど、話した事でしょう。
昭和60年(1985年)
愛媛県指定有形文化財指定
平成23年(2011年11月29日)
国重要文化財指定
※萬翠荘本館と管理人舎の2棟
現在は愛媛県美術館分館
勇気と愛が世界を救う
絶対いつか出会えるはずなの
(中略)
性格良ければいい
そんなの嘘だと思いませんか?
♬広瀬香美
ロマンスの神様
そんなのは、嘘だと思います。
でも、勇気と愛は世界を救うと思います。
こんにちは、みきです。
松山城二之丸史跡庭園に行ってきました!
おススメアクセスは、
堀之内公園内を、松山城を眺めながらゆっくり散歩→公園内にある美術館で立ち止まって、『江戸絵画展とかやってんだぁー』って、ふむふむって顔する→ベンチに座って、お城をバックにインスタ用に写真撮影→二之丸観覧→美術館そばのカフェでお茶
です♪
所要時間、約1時間10分です。
お茶しなければ、小1時間です。
とにかく立派!な石垣を曲がると、出入口の多聞櫓(たもんやぐら)の門があります。
昔もここは通用口で、その奥には奥向きの居室や台所・炊事の土間の類が建ち並びます。
公式な門は北側の四脚御門で、大きな柱と控えの柱計4本を一つの屋根の下に入れた形の薬医門であったと考えられます。
二之丸は本丸(天守など)を防備するための施設で、藩主の生活や政務のために建てられました。
松山城を含む二之丸が完成したのは、二代目蒲生忠知(がもう ただとも)の時代(1627年から1634年)とされています。
受付でネーブルをもらいました!
園内にある柑橘類は、来園者にプレゼントしているそうです!
※収穫期間のみのサービスです。
愛媛ならではのおもてなしですね~♪
茶室はレンタル可能で、よく結婚式の前撮りが行われてるそうです♩
二之丸史跡庭園は、『恋人の聖地』として、NPO法人地域活性化支援センターに選定されていますが、なんで??どの辺が?恋人の聖地なん??と思っていました。
日露戦争時、この庭園が病院だった頃のエピソードで、ロシア人捕虜の男性と日本人女性看護師のロマンスを秘めた金貨が出土したことと、結婚式の前撮りが年間500件ほど行われていることから、それにふさわしい地域として評価されたそうです。
病院の後は城北中学校だったそうです。中学校を取り壊した後に、あ!そーいや!!ここ、井戸あったんや!と思い出して、江戸時代の状態を復元して、今の二之丸庭園になったそうです。
ロマンスかぁ~~。
そんなん!絶対内緒ですよね!?バレたら大変ですよね!!??んーでも、この時代はそーでもないんですかかね?まだ武士道精神が残ってる時代で、弱ってる人には親切にしよう!!ってみんな思ってたみたいだし。『非国民!』とか!『あいつら(敵軍)人間じゃない!』とか言い出すのは第二次世界大戦くらいからですかね??
じゃぁ、きっと、
ありましたよね?
ロマンス・・・。
でも、きっと、
みんなの目を盗んで、ロマンス…。
切なかったやろなぁ。
結ばれたんかなぁ??
もう、
妄想が止まりません!
皆様は、
ロマンス、してますか?
しかも秘密で。
今日は、坂の上の雲ミュージアムに行ってきました!!
坂の上の雲ミュージアムは、司馬遼太郎の小説『坂の上の雲』をテーマにした博物館です。
今までは、『なんか、えっらいお洒落なデザインにしたんやね~~』と、思っていました。
行く楽しみがなくなってはいけないので、詳しくは書きませんが、坂の上の雲の三人の主人公、正岡子規・秋山好古・真之の足跡をたどる展示物を観ているうちに、ミュージアムの建築デザインにも『なるほど』と思いました。
ライブラリー&カフェコーナーでは、小説『坂の上の雲』や明治時代に関する書籍や資料を閲覧できるそうです。
しかも、ここだけの利用なら、入館料無料です!!
(また、行く!絶対!!)
大きな窓から眺める萬翠荘が美しかったです。
萬翠荘は、大正11年(1922年)旧松山藩主の子孫にあたる久松 定謨(ひさまつ さだこと)伯爵が、別邸として建設したものです。
萬翠荘については、また次回詳しく書きたいと思います♩
この景色は、ずっと変わってないんかな。
おじぃちゃんのおじぃちゃんも見たかな。
とか、
思ってたら、コーヒーが砥部焼のカップで運ばれてきました!
これは!地元人でもテンションあがります!
坂の上の雲とは部隊は違いますが、私の高祖父は旅順攻囲戦で戦った軍人でした。
父から、耳にタコほど聞いてきた話ですが、『正直ピンとこなーーい!』と思っていました。
今日観覧して、おじぃちゃんのおじぃちゃん、こんな時代に生きてたんだなぁ。
目指せ!!近代国家の仲間入り!!
って、戦って。
どんな思いだったんだろう。
でも、
『いま(現在)』を作ってくれて、ありがとう。
空中階段を下りながら、そんな気持ちになりました。
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