【過去日記より vol.10】人生のどん底から3年半経ちました
【2003年9月4日(木)の中野所長のひとりごとより抜粋】
2002年3月7日、会社帰りの夜道でひったくりに遭いました。
あれから1年半経った今でも、眠れない夜があります。
盗られた現金等は、授業料だと諦めることは出来ても、心に受けた傷は、今でも癒えることはありません。
何度忘れよう、考えまい、としたことでしょう。
それでも、あの夜、背後から二人乗りのバイクが歩道に乗りこみ、すれ違いざま、後部座席の男に自転車のカゴをぐいと引き寄せられ、急に重くなったこと、その重さが、手を離されたことで今度は急にふっと軽くなったことを、体が覚えているし、次の瞬間、自分のバックが自分の目の前で宙に浮いたときの信じられない光景が頭から離れない。
前向きだけが取り柄の私ですが、あの時ばかりは、何も手につかず、何も喉を通らず、昼間であっても一人では外も歩けない、という普通でない生活が続きました。
夜は当然眠れず・・・やっと寝付くことが出来ても、夢に出てくる無数のバイクとまぶしいライト、鳴り響く爆音が、ゆっくり眠らせてはくれない。
このことを、私は、友人にも、主人以外の家族にも、しばらく告げませんでした。
心配かけまいと話さなかったのではありません。
話すことを思いつくことも出来ないほど、抜け殻状態になってしまっていたのです。
その後、久々にパソコンのメールを開いてみると、ある二人の友人からメールが届いていました。
私の近況など知るはずもない、彼女らからのメールは、どちらも、重く暗い内容の相談事でした。
おせっかいな性格のせいか、昔から相談事をもちかけられるのは日常茶飯事ですから、その日二人からの相談が来ても、何の不思議もありません。
ただ、正直、とても他人の相談になど乗ってあげられる心境ではありませんでした。
あの時の私は、何も信じられず、何も考えられず、これからどう前を向いて生きていったらよいのかも分からないような有様でした。
それでも、いつもはすぐにメールの返事をしている私からの返事が来ないことで、何か心配させてはいけないと、自分の事には一切触れず、それぞれにお返事を書き始めました。
そして気が付くと、私は真剣に、本当に真剣に、彼女らの相談事について一緒に悩み、夢中になって、少しはアドバイスになるであろう返事を書き連ねていたのです。
自分のしていることに、自分で驚きました。
自分のことも満足に考えられない状態だった私が、他人のために、悩んで悩んでアドバイスなどしているのですから。
その時「ああ、私にもまだ出来ることがあった」と救われる思いでした。
相談に答えているのは私の方であるにもかかわらず、こんな私を信じて頼ってくれ、それに精一杯応えていること、そのこと自体が、私の救いになったのです。「私はまた前を向いて歩いていける」そう思えました。
このことは、私に驚く程、希望を与えてくれました。
「人のためになることをしたい。人を喜ばせたい。そうすることが私の幸せにつながる。」
漠然と思っていたその思いが、以前より一層強くなった瞬間でした。