社長日記…高野山 奥の院 2
前回のブログからのつづきです。
その階段を上っていくと、そう広くない場所に、お堂が建っています。
そのお堂の地下に、空海が眠っています。
ここがまさに高野山奥の院の、聖地です。
階段を上って、この聖地に着いた時に、最初に目にする場所に、二つの石塔が建っています。
階段の両脇にあって、私達を迎えてくれます。
誰が建てたのだろうと、塔の台座あたりを見てみました。
その階段を上っていくと、そう広くない場所に、お堂が建っています。
そのお堂の地下に、空海が眠っています。
ここがまさに高野山奥の院の、聖地です。
階段を上って、この聖地に着いた時に、最初に目にする場所に、二つの石塔が建っています。
階段の両脇にあって、私達を迎えてくれます。
誰が建てたのだろうと、塔の台座あたりを見てみました。
奥の院の、一番の聖地で、一番目立つ場所ですから、歴史上の人物か、空海ゆかりの人、もしくは寺社関係の名が書かれていると思いました。
何と書かれていたと思いますか?
写真を撮れない場所なので、そこに行かないと観れません。
たぶん答えを書いても、信じれない人も多いと思います。
そこには「佐賀県唐津」と書かれていました。
一瞬、頭が真っ白になりました。
「はぁ~っ」と云う感じです。
意味が解りません。
何故、唐突に唐津なのでしょうか。
私たち一行は唐津出身の者が、殆どでしたのでおおいに盛り上がりました。
あたかも、この奥の院の聖地が、「佐賀県唐津」ですよと言っているような、場所と形でそこに建っています。
何とも奇妙な気持ちと、変な感動がありました。
ガイドさんに聞くと、唐津関係の人たちが寄贈されたのでしょう、という話でした。
後からその事の真相が解りました。
販社の代理店さんに、Mさんという方がいます。
販社で一日だけ、営業の飛び込み研修をやりました。
その時、Mさんがたまたま飛び込みして伺った家で、高野山に旅行に行った時の話になりました。
そして、奥の院の「佐賀県唐津」の話になったそうです。
そこの方(七十才くらいのご夫婦)の祖父の方達が建てられたそうです。
その当時、高野山に唐津出身の偉いお坊さんが、いらっしゃったそうです。
その人の発案で、唐津で真言宗を信仰されていた方達が、寄贈されたそうです。
事の真相を知りたいと思っていたら、思わぬところから情報がきました。
それにしても、よくその許可がおりたなと思いました。
それほど、一番良い場所に建っています。
高野山奥の院と、唐津は何か見えない縁で、繋がっているのかもしれません。
そう考えると、奥の院に特別な、親しみの感情が湧いてきます。
そこの石塔の場所を後にして、いよいよ本堂に入って行きます。
つづく
何と書かれていたと思いますか?
写真を撮れない場所なので、そこに行かないと観れません。
たぶん答えを書いても、信じれない人も多いと思います。
そこには「佐賀県唐津」と書かれていました。
一瞬、頭が真っ白になりました。
「はぁ~っ」と云う感じです。
意味が解りません。
何故、唐突に唐津なのでしょうか。
私たち一行は唐津出身の者が、殆どでしたのでおおいに盛り上がりました。
あたかも、この奥の院の聖地が、「佐賀県唐津」ですよと言っているような、場所と形でそこに建っています。
何とも奇妙な気持ちと、変な感動がありました。
ガイドさんに聞くと、唐津関係の人たちが寄贈されたのでしょう、という話でした。
後からその事の真相が解りました。
販社の代理店さんに、Mさんという方がいます。
販社で一日だけ、営業の飛び込み研修をやりました。
その時、Mさんがたまたま飛び込みして伺った家で、高野山に旅行に行った時の話になりました。
そして、奥の院の「佐賀県唐津」の話になったそうです。
そこの方(七十才くらいのご夫婦)の祖父の方達が建てられたそうです。
その当時、高野山に唐津出身の偉いお坊さんが、いらっしゃったそうです。
その人の発案で、唐津で真言宗を信仰されていた方達が、寄贈されたそうです。
事の真相を知りたいと思っていたら、思わぬところから情報がきました。
それにしても、よくその許可がおりたなと思いました。
それほど、一番良い場所に建っています。
高野山奥の院と、唐津は何か見えない縁で、繋がっているのかもしれません。
そう考えると、奥の院に特別な、親しみの感情が湧いてきます。
そこの石塔の場所を後にして、いよいよ本堂に入って行きます。
つづく
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