【過去日記より vol.12】娘の傷跡
【2005年12月20日(火)の日記より抜粋】
先日から、たくさんのお電話やメール、コメントをどうもありがとうございました。
主人と一緒に、皆様のあたたかいお言葉のひとつひとつを読みながら、「ほんとにありがたいことだよね」と、涙せずにはいられませんでした。
おかげさまで、家族共々、大分元気です。
お1人お1人にお返事する余裕がないので、せめてこの日記ですぐにお礼を・・・と思ったのですが、ついていないことに、前回の日記をかいた翌日から、私は39度の高熱を出し、うなされておりました。
妊婦なもので、薬が飲めないので、なかなかつらかったです。
風邪と疲労だと思うのですが、一昨日あたりからミユも咳をし出し、昨日は私の熱がひいたのと交代で、ミユも同じく39度まで発熱しました。
でも子供の回復力はすごいですね。
今日は、うるさくて、傷が開かないかと心配になるくらい元気です。
ミユは、明日、5針縫った傷の抜糸の予定です。
部屋でミユと主人と私の3人で遊んでいたところ、何もない場所で急によろけて転び、テーブルの丸い角に顔を直撃し、ちょうど眉毛の上を深く切りました。
私はミユを起き上がらせた時、ぱっくり開いた傷と、一瞬のうちに顔中に流れ出た血を見て、初めてのことに少し焦りました。
救急車が来るまで5分もなかったと思います。
その間、ミユの上着や止血するための清潔なガーゼや保険証、飲み物とおもちゃをバッグに入れ、マンションの下まで降り、ちょうど着いた救急車に乗り込みました。
救急車の中で、大分血は止まっていましたし、ミユは眠そうでしたが、ぐったりすることもなく、元気な状態でしたし、私も冷静であったと思います。
私が崩れ落ちるほど、ショックを受けてしまったのは、病院に着いてからです。
2歳のこんなに小さな子が、麻酔もなしで、目の上を5針も縫うなど、考えられなかったということもありますし、ミユの聞いたことのないような悲鳴も、相当ショックでした。
でも、たぶん私がさらにショックだったのは、「傷跡が残る」ということだったと思います。
この事故の後、主人にも言われましたし、多くの方のお話や、先輩パパさん、ママさんのお話を聞いていても、自分が、「傷跡」というものに、おそらく普通以上に抵抗があるのだということに気付かされました。
顔に傷があるから、この先のミユの人生が、暗いものになってしまうのかと言ったら、絶対にそんなことはないと思いますし、どんなことにも負けない強い子に育ってくれると信じています。
ただ、私自身が「傷跡」には苦い経験があったんです。
この日記でも何度か書いてきたことがあると思いますが、私は、アトピーや、原因の分からない全身のアレルギー湿疹や、掌蹠膿疱症(しょうせきのうほうしょう)を長く患っていて、今でも完治はしていませんが、特に思春期から青春時代にかけて、一番若々しくオシャレも楽しみたかった時代は、症状も一番ひどく出ていました。
夏でも紫外線に当てないために長袖や七部袖を着ていましたし、すさまじい痒みと痛みを伴い、その無数の水泡や湿疹が膿みとなり、血となり、かさぶたとなり・・・調子のいい時であっても傷跡や、シミとして残りました。
ひどい時は、全身包帯グルグル巻きのミイラ状態で、動くこともままならなかったし、手や足は指紋がなくなり、治療のためにも、見た目を隠すためにも、季節を問わず、白い綿手袋はかかせませんでした。
こんな状態ですから、恥ずかしさと、それにどうせこんなんじゃ楽しいと思えないからと、旅行も、アウトドアなどのレジャーも、全て断り続けて、青春時代をすごしました。
母と同じ化粧品を使っていたおかげで、顔だけは、大きなトラブルに襲われたことはありませんでしたが、それでも、お産の直後には、大きな負担が加わったことで、体は悲鳴を上げ、それまでトラブルの少なかった顔にも、症状が大分和らいでいた全身にも、ただれたような帯状の湿疹がバァーッと広がり、瞼は持ち上がらないほど腫れ、私はとうとう、生まれたばかりのミユを見ることも抱くことも出来ない状態になり、泣きながら、病院に点滴を受けに行ったものです。
消えたと思っても、すぐにまた現れるその症状と傷跡・・・こんな自分の体を、恨まなかったはずがありません。
ミユに初めて、軽いアトピーの症状が出た時には、自分の二の舞にさせてしまうのか、と、お風呂でミユの裸の姿を見るたびに、ミユを抱きしめながら、泣いたこともありました。
私の本業はビューティーアドバイザーです。
お人形のCMなどで、「顔は命」などと言われているほど、女性なら、どんな人でも、自分の「顔」を、本当に大切にされていることを私もよく知っています。
「顔だけが大事。顔が一番大事。」
では決してないけれど、それでも、
「顔は大事。」
と思うことは自然なことだと思うんです。
今日、近所のスーパーで、ミユより少し大きいお兄ちゃんが、ミユの顔を覗き込んで、ミユの傷を指差して、何か言いながら追いかけてきました。
少し離れても、また追いかけてきました。
何を言っていたのか、小さい子なので、言葉がよく聞き取れなかったけど、ミユは、それまで歌っていたのに、歌うのをやめ、しょんぼりと、うつむいたまま歩いていました。
ミユもまだ小さいので、傷跡のことを気にしているとは思えないけど、とても痛い思いをしたことは覚えているのでしょう。
その子に指差された時だけではなく、傷の話をしているだけでも、相当ショックは残っているのか、やっぱりしょんぼりとうつむいてしまうのです。
私のアレルギーが、顔だけには出なかったことは、不幸中の幸いでした。
ミユの傷も、「目や頭じゃなくてよかった。」、「命に別状がなくてよかった。」と思えば、不幸中の幸いなのでしょう。
でも、今の私には、今回の事故自体がまだ信じられないし、それをもっとひどかった場合と比べて、今のミユの状態を「よかった」とは、まだ思えません。
自分のアレルギーでさえ、「顔には出なくてよかった」とは、まだ思えないで苦しんでいるくらいなので、自分以上に大切な娘の、顔の傷を、「よかった」と思えるには、まだ当分時間がかかりそうです。
「母親が、何を甘ったれたことを言っているの!」
と叱られるでしょうか。
これから、もっと大変な事故や怪我もあるかもしれないし、逆に、よそのお子さんを傷つけてしまうことだってあるかもしれません。
でも、これから起こるかもしれないことと、今回のことは、私の中では別です。
同じには出来ない。
どんなにささいなことであっても、1つ1つをきちんと受け止めていくしかない。
こんな体に生んだ親を恨んだこともありました。
でも、強がりではなく、自分のこんな体とアレルギーで苦しんだ経験に、親に、感謝したことも本当です。
ミユも同じだと信じています。
私の本業はビューティーアドバイザーです。
顔はとても大事だけれど、美しくあるためにも、美しいお肌や、美しい顔をつくるためにも、それ以上に一番大切なものが何であるか、よく知っているつもりです。
自分と同じアレルギー体質を持った子が生まれてくるかもしれない、自分と同じか、それ以上の苦しみも味わうことになるかもしれないと、ミユを妊娠した時、思っていました。
美しく、優しい心を持った人間が、一番強い人間なのだと、強い人間が一番美しいのだと・・・ちょっとやそっとのことでは負けない強い子になってくれるようにと、「美優」と名付けました。
お腹の子が生まれてくるのと同じように、今またここから、ミユのまた一つ新しい人生が始まるのだと思っています。
これから何度も何度も、何度でも、そういった時が訪れるのでしょう。
名前と、そこにこめた思いに負けないような、強い子に育ってくれるように、私もミユと一緒に頑張っていきたいと思っています。
【追記】
5針縫った治療の直後も、その後に訪れた病院の診察の直後も、ミユは泣きべそをかきながら、病院の先生に
「ばいばい、ありがとね、またね!」
と言いました。
親の方が驚いて、笑いながら、涙が溢れてしまったくらい、ミユは強い子です。