子供の小・中学受験、どうする?
いつも見ている「ワーキングマザースタイル」というブログサイトの『今週のテーマは、「子供の小・中学受験、どうする?」』の記事を読みました。
子供の話ではなく、自分自身が子供だった頃の経験談なのですが、私は中学受験を経験してよかったと思っています。
当時の私は、「私立はお金がかかる」ということを漠然としか分かっておらず、ただ、
・セーラー服が着たい。
・小学校の学区域もギリギリの場所だったので、私立でも、公立でも、どうせほとんどの友達と別の中学校に分かれてしまう。
・仲良しの子数人が進学塾に通っていたので自分も行きたいと思った。
・勉強が好きだった。
などという理由で、気付いた時には、小学校5年生になるちょっと前から、中学受験のための勉強を始めていました。
母の仕事は、今の私と同じく、ノエビアの代理店です。
朝9:00~18:00まで、当時は自宅から徒歩5分ほどの事務所に通勤していましたが、毎晩、私の翌日の勉強スケジュールなどを立ててくれて、私は小学校から帰宅すると、母が働いている日中は、一人で勉強し、夜は一緒に勉強を教えてくれました。
平日は週に2~3日進学塾に通い、日曜は別の進学塾で毎週テストがありました。
確か、1週間のスケジュールはこんな感じ。
【日曜日】
・その日受けたテスト(先週勉強した試験範囲)の復習
・今週の試験範囲の勉強のスケジュールを立て、テキストを読み出す。
(母は私が寝てから、私に教えるための予習。)
【月~火曜日】
・各教科のテキストを本格的に勉強し出し、ノートやプリントにまとめる。
・練習問題を解く。
【水曜日】
・過去問題を解く。
【木曜日】
・日曜日に受けたテストの結果や週報が届く日なので、その復習。
【金~土曜日】
・日~木曜日までやってきたことをひたすら繰り返す。
誰よりも自分の性格や、学習能力を把握してくれている母が立てたスケジュールなので、時間内に終わらなかったこともなければ、「勉強したくない」とサボることも、不思議とありませんでした。
それでも、一度教わったことが思い出せないと、「集中してなかった」、「反復して勉強してなかった」と怒られ、一度間違えた問題がまた出来ないと、「復習してなかった」と怒られ・・・。
その度に、母には「やめたければ(中学受験を)やめればいい」と何度も言われましたが、私はその度に「続けさせてください」と泣きながらお願いしました。
どんなに怒られても、どんなに泣いても、正直、「つらい」と思って勉強したことはなかったのですが、一時期、やる気が下がったり、自信がなくなっていた頃はあったと思います。
母は怒り、娘は泣き・・・、そんな時は、素直に謝ることも出来なくなって、口答えしてしまったり。
そんな頃は、母と交換日記をしていたことがあります。
(あぁ、今思うと、口に出してはなかなか上手に表現できないことをこうしてブログに書いているように、あの頃も同じように、文章で書くことをしていたんですね。)
交換日記の中では、私も素直に謝ることができ、母もまた、怒っている裏にある優しい気持ちを伝えてくれました。
だから私は、どんなに怒られても、それが自分のためであることを、母の愛情であることを、いつも感じることが出来ていたんです。
思春期にさしかかる小学校6年生の頃だったと思いますが、母なりに「少し娘と距離をおくことも必要。娘に一人でやらせてみることも必要。」と思ったのでしょう。
母は、突然、車の免許を取りに、教習所へ通い始め、私と一緒に勉強する時間は、少し減りました。
早朝の教習所通いと、日中の仕事、夜の私との勉強と、深夜の予習と免許の勉強。
今考えられるほどではありませんが、当時の私でも幼いながらに、その母の頑張りを見て、「自分も頑張らなくちゃ!」と励みにしていました。
1ヶ月後、母の運転する車に乗せてもらいながら、「努力すれば実るんだ!!」ということを、私は確かに感じ取りました。
「自ら進んでやろうと決めたことくらい、出来る限りの力で頑張りたい」
という思いや、
「頑張ってやり遂げる達成感や充実感(結果はどうあれ)」
は、この時期に学んだものだと今でも思えます。
母が教えてくれたスケジュール管理は、いつからか、自然と自分のものになっていました。
何となく妹も中学受験する流れになってしまい、少し大きくなってからは、「まったく、あんた達二人が私立いかなかったら一軒家が建ったわよお(実家はマンションなので)」などと言われました。
感謝はしてきたつもりでしたが、それも自分が働くようになって、さらに夫や子供を持って、「感謝してもし足りない」ということに気付きました。
これは中学受験に関らず、今でも事あるごとに改めて思うことですけどね。
何も受験でなくてもよいと思いますが、私の場合は、中学受験から学んだことはすごく多くて、頑張ったことはそれ以降も色々ありますが、今の自分の基盤のようなものになっているのは、間違いなく中学受験の経験でした。
今自分が子供を持ってみて、「ミユにも中学受験させるか?」と聞かれたら、それはまだ分かりません。
お金もかかるし、そんなに簡単なことだとも思っていません。
ただ、幼かった私の気持ちを、「子供のいうことだから」と安易に聞き流さずに、意志を尊重してくれた母のように、ミユの話してくれることや、していることには、常に神経を傾けて、しっかり見守っていきたいと思います。