社長日記…人の器
私が二十歳の頃、人はなぜ生長し続ける人と、そうじゃない人がいるのか、考えていた時があります。
その時思ったのは、人の器は関係あるのだろうか、という事です。
というのは、よく「あの人は器が大きい」とか、「あいつは器が小さい」とか、人が話しているのを聞いたり、本に書かれているのを読んだ時に、その差はどこから生じるのか、疑問に思ったからです。
また、人が生長するから器が大きくなるのか、逆に器が大きいから人が生長するのか。
そもそも器とはなにか。
人が生長し続けるために必要な、考え方や哲学はあるのか。
そんな事を考えていました。
ようするに暇だったんですね。(笑)
その時思ったのは、人の器は関係あるのだろうか、という事です。
というのは、よく「あの人は器が大きい」とか、「あいつは器が小さい」とか、人が話しているのを聞いたり、本に書かれているのを読んだ時に、その差はどこから生じるのか、疑問に思ったからです。
また、人が生長するから器が大きくなるのか、逆に器が大きいから人が生長するのか。
そもそも器とはなにか。
人が生長し続けるために必要な、考え方や哲学はあるのか。
そんな事を考えていました。
ようするに暇だったんですね。(笑)
そういう事を考えていた時に、よく瞑想をしていました。
ある時、ふっと次のようなビジョンが浮かんできました。
それは正方形の箱が、宇宙空間にぽっかりと浮かんでいます。
それを仮に人の器とします。
その器を大きくしようと、縦や横に引っ張ってみます。
しかし、それには限界があります。
器を大きくしようと云う考え方では、人間の生長には限界があるのかな、と思い始めました。
その時、箱に変化が起こり始めました。
上のふたが開き、そのまま横の壁も開き始めました。
ふたと壁が、水平になった状態で止まります。
底のふたは下の方に向けて、開き始めて、垂直になって止まります。
そうすると、上下左右の壁が無くなって、無限の拡がりが生じます。
壁は自分の能力に対する認識です。
もうこれ以上は出来ないとか、そんな事は無理だと決めつけて、自己の能力を限定してしまう。
もしくは世の中の常識や、既成概念を超えられない。
ようするに自分の意識が、器の正体だと気付きました。
その壁を取り払うと、無限の拡がりが生じる。
自分の器の壁は無いと思い、無限に生長し続ける意識と能力が、自分には有ると信じる。
そう思う事が、無限に生長し続けるための秘訣、ではないかと思いました。
それから私は、自分の事を無限に生長し続ける人間だ、と思うようにしています。
そして、他の人も無限に生長し続ける存在だ、と思っています。
そう思っていると、生きる勇気が湧いてきます。
人は無限に生長し続ける存在です。
ある時、ふっと次のようなビジョンが浮かんできました。
それは正方形の箱が、宇宙空間にぽっかりと浮かんでいます。
それを仮に人の器とします。
その器を大きくしようと、縦や横に引っ張ってみます。
しかし、それには限界があります。
器を大きくしようと云う考え方では、人間の生長には限界があるのかな、と思い始めました。
その時、箱に変化が起こり始めました。
上のふたが開き、そのまま横の壁も開き始めました。
ふたと壁が、水平になった状態で止まります。
底のふたは下の方に向けて、開き始めて、垂直になって止まります。
そうすると、上下左右の壁が無くなって、無限の拡がりが生じます。
壁は自分の能力に対する認識です。
もうこれ以上は出来ないとか、そんな事は無理だと決めつけて、自己の能力を限定してしまう。
もしくは世の中の常識や、既成概念を超えられない。
ようするに自分の意識が、器の正体だと気付きました。
その壁を取り払うと、無限の拡がりが生じる。
自分の器の壁は無いと思い、無限に生長し続ける意識と能力が、自分には有ると信じる。
そう思う事が、無限に生長し続けるための秘訣、ではないかと思いました。
それから私は、自分の事を無限に生長し続ける人間だ、と思うようにしています。
そして、他の人も無限に生長し続ける存在だ、と思っています。
そう思っていると、生きる勇気が湧いてきます。
人は無限に生長し続ける存在です。
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