掌蹠膿疱症、再発。。
掌蹠膿疱症が約8年ぶりに再発しました。滅多に病院には行かない私ですが、改善していくためにも受け止めようと皮膚科に行って診断してもらいました。
原因不明、難病の一種とされている皮膚炎。
一見、手荒れが悪化した主婦湿疹や、水虫のようにも見えますが、感染することはない無菌性の水泡や膿胞が次々でき、枯れては皮がやぶけ、その頃にはまた新しい膿胞ができ始めていて、それを繰り返しながら、どんどん広がります。
3~7年程で「完治」ではなく「軽快」すると言われますが、一生付き合い続けていく人も多いそうです。
私の場合は高校生の頃に発症し、一時期すっかりキレイになるまで10年近くかかりました。
掌蹠膿疱症以外のアレルギー湿疹も全身に出ていたので、とにかく病院を転々とし、毎日のように皮膚科に通い時間はなくなるし、お給料もほとんど薬代で消えてしまう。
そもそもの原因は分からないけど悪化させる要因は分かっているので、せめて悪化させないために生活面での注意を色々いただきます。
「なるべく水に触らないように。手洗いの回数は減らして。食器洗いや洗濯もダメ。紙やビニールや洗濯物など水分を持ってかれる物にはなるべく触れないで。乾燥させちゃダメ。洗剤もダメ。疲れちゃダメ。ストレス溜めちゃダメ。綿手袋して生活して。洗髪は綿手袋にビニール手袋。」
などなど・・・手荒れを悪化させないための注意と同じですが、違うのは、この病気の場合、悪化させない注意は全てしていたとしても、それでも悪化していってしまうところ。
ダメダメだらけだなぁ・・・
とにかく痒いし痛いし、見た目も無残でつらいし恥ずかしいし、そこに、あれもダメ、これもダメ・・・何が一番かって、ほんとに精神的にきつかったことです。
山ほど出される内服薬で常に眠いし集中力は欠けるし頭がもうろうとしてるし、肝臓に負担もかかったのか、急性肝炎も患いましたし、胃潰瘍もできました。
山ほど出される外用薬のせいでダメになったシーツや洋服や包帯や手袋はどのくらいの量だろう。
少しよくなってる?と思って薬を信じて塗り続けてましたが、インターネットなどが普及し、検索してみると、よくなったのではなく、薬のランクがどんどん上がり続けていたことを知って愕然。
このままでは、薬漬けになる。自分の自然治癒力はなくなってしまう・・・。
私は危機感を感じ、すべての医者と薬を断ち、自分なりに勉強をし、出来る限りの食生活の改善と、サプリメントの摂取を始めました。
そこからの1年半程が、今思うと身体的には一番きつかったけれど、お客様に出会い、この仕事が仕事になり、いつか、自分のこの手でもっとちゃんときちんと触れて、フェイシャルマッサージをしてさしあげるんだ、と精神的には救われた気持ちで頑張ることができて、その1年半程で、つい最近までのすっかりよくなった状態まで、治すことができました。
私が元気でいられるのも、最低限のキレイを保とうと頑張れるのも、お客様のおかげ。
お客様にスキンケアや健康管理を伝えるからには、まず自分が、と頑張れる。
お客様に触れさせていただく手は、私の手ではなく、お客様のもの。
死んでしまいたいと言って泣いて暮らしていた私を、生かしてくださっているのは、お客様。
だから、もう完治したと思えるようになってから約8年ぶりの今回の発症は、ものすごくつらいです。
仕事柄、手のひらだけでも、早く治したい、ということをお医者様に伝えると、「無理。焦らず、じっくり長期戦で。」とのこと。
言ってみただけ。分かっていますよぉーだ!!
でも、私には絶対に早く治したい目的がある。
今回も薬には極力頼りません。一日の中でも症状が強く出ている時の痒みと痛みは本当にすさまじくて、頭でダメと分かっていても、絶対に薬に依存しすぎてしまうことを繰り返してきて、普通の日常生活を送ることも困難になってしまうので
いつも自分が実験台。
あの頃は、今の50倍以上はひどい状態だった。だからまだまだ大丈夫
もうあの頃のように泣いて暮らすのではなく、初めて発症してからのこの18年間と、ノエビアをお仕事として始めてからの12年間と、薬を断ってからの10年間で得た経験と知識を使って、自分のこのにっくき症状と真っ向勝負だ
どんな風に変わっていくのか、楽しみにしてやるんだ
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