社長日記…東寺
先日、滋賀研修センターに行った帰りに、京都駅の近くにある東寺に行きました。
空海ゆかりの寺で、千二百年ほど前に建立されました。
私の好きなお寺の、ひとつです。
特に立体曼陀羅がある場所は、独特の雰囲気があって、身が引き締まるようです。
曼陀羅の世界を、仏像を配して表現します。
真ん中に大日如来があって、そのまわりを幾つもの仏像があります。
七九六年に桓武天皇が、国を護る為に造りました。
空海ゆかりの寺で、千二百年ほど前に建立されました。
私の好きなお寺の、ひとつです。
特に立体曼陀羅がある場所は、独特の雰囲気があって、身が引き締まるようです。
曼陀羅の世界を、仏像を配して表現します。
真ん中に大日如来があって、そのまわりを幾つもの仏像があります。
七九六年に桓武天皇が、国を護る為に造りました。
八二三年に空海が、東寺を賜りました。
空海は東寺が永く続くように、密教の奥義を駆使して、結界をはったそうです。
その結果東寺は、平安京以来千二百年の間に幾度も台風、雷火、兵火等の災害を受け、堂塔の大半を消失しましたが、一般民衆の信仰の力により元の姿に再建されました。
平安京の時の場所に、そのままある建物は、東寺だけだそうです。
皇居やその他の建物は、兵火等で燃えました。
ですから、平安京の時の地図を作る為には、東寺を起点として古文書を元に、復元されました。
東寺は多くの歴史上の人物が、訪れた場所でもあります。
足利尊氏、源頼朝、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、宮本武蔵、坂本竜馬など…。
数え上げればきりがありません。
彼らは、立体曼陀羅を観ながら何を想ったのでしょうか。
彼らが立った同じ場所に立ち、千二百年の時空に想いを馳せると、改めて空海の偉大さを観じます。
空海は国を想い、民衆の幸せを願い、唐へ渡りました。
唐長安青龍寺の恵果和尚から、灌頂を受け、密教の第八祖になりました。
密教の正統な後継者が、日本人に成った瞬間です。
そして彼は日本に帰ってきて、東寺と高野山を中心に活動して、民衆を救っていきました。
その空海の生き方に、感動した人たちが、この場所に立ちました。
自分がこれから行おうとしている事に、想いを馳せ大願成就の祈りを捧げたと思います。
その結果、成功した人もいれば、失敗した人もいました。
そこに時代が必要としている人と、そうでは無い人がいたのでしょう。
そういう多くの人々から、愛された空海。
愛するから愛される。
そう考えると、千二百年間愛され続けた、空海の無限の愛に感動します。
そして歴史上の人物達は、死んだ後も空海の側にいたいと、空海が眠る高野山に墓を建てました。
空海の無限の愛を観じに、東寺に行ってみて下さい。
空海は東寺が永く続くように、密教の奥義を駆使して、結界をはったそうです。
その結果東寺は、平安京以来千二百年の間に幾度も台風、雷火、兵火等の災害を受け、堂塔の大半を消失しましたが、一般民衆の信仰の力により元の姿に再建されました。
平安京の時の場所に、そのままある建物は、東寺だけだそうです。
皇居やその他の建物は、兵火等で燃えました。
ですから、平安京の時の地図を作る為には、東寺を起点として古文書を元に、復元されました。
東寺は多くの歴史上の人物が、訪れた場所でもあります。
足利尊氏、源頼朝、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、宮本武蔵、坂本竜馬など…。
数え上げればきりがありません。
彼らは、立体曼陀羅を観ながら何を想ったのでしょうか。
彼らが立った同じ場所に立ち、千二百年の時空に想いを馳せると、改めて空海の偉大さを観じます。
空海は国を想い、民衆の幸せを願い、唐へ渡りました。
唐長安青龍寺の恵果和尚から、灌頂を受け、密教の第八祖になりました。
密教の正統な後継者が、日本人に成った瞬間です。
そして彼は日本に帰ってきて、東寺と高野山を中心に活動して、民衆を救っていきました。
その空海の生き方に、感動した人たちが、この場所に立ちました。
自分がこれから行おうとしている事に、想いを馳せ大願成就の祈りを捧げたと思います。
その結果、成功した人もいれば、失敗した人もいました。
そこに時代が必要としている人と、そうでは無い人がいたのでしょう。
そういう多くの人々から、愛された空海。
愛するから愛される。
そう考えると、千二百年間愛され続けた、空海の無限の愛に感動します。
そして歴史上の人物達は、死んだ後も空海の側にいたいと、空海が眠る高野山に墓を建てました。
空海の無限の愛を観じに、東寺に行ってみて下さい。
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