大学在学中、私は映画研究のサークルに所属していました。
映研といっても鑑賞班(米英班といいました。いくつかの制作班と鑑賞班にわかれていたのですが、ほかの班名は忘れてしまいました)にいたんですけどね。
ともかく自分の姿が人目にさらされるということが、むちゃむちゃ大変なことだったので、制作班に入って出演者になるなんてとんでもなかったですから
と言いながら、卒業までただの一度も、制作班の監督から声がかからなかったのは、実はかなりがっかりでした・・・人間て現金で矛盾してますよね。
それに、鑑賞班に入った理由は「映画評論家になってアラン・ドロンにあいたい」でしたから、
そうとう現実を認識していない能天気な部員でした。
“夢見る夢子さん”と、後年、手痛く私を振った男性から言われたのですが、ずっとそんなやつでした。どんな夢をもったってまったく本人の自由ですが、実現のための努力っちゅうものを、ほとんどしていませんでしたから(こんな断言、なさけないですよね)・・・制作班の作品上映会に行くと、本当に圧倒されました。同じ24時間を与えられていながら、積み重ねているものの違いに愕然としました。そこで観た自主制作映画の主演女優(当時、自主制作の女王と言われていたらしいのですが)が、今は見事なキャリアの女優さんとしてお仕事されているのを見るたび、はあ~という感じです。
こう考えてみると、若いころのわたしが苦しかったのは、自分の現実と向き合うことができていなかったからだなあと思いいたるわけです。現実を直視し、しっかり認識した上で夢(目標)に向かってひたすら努力する、ということを知らなかった・・・というより、避けていたんですね。そのくせ、いや、だからこそ、がっちり努力して夢を実現している人を見ると、妬ましくて仕方がないわけです。
人から自分がどう見られているのかが気になって気になって
鑑賞班では、最低週1回は銀座や池袋、早稲田にある名画座に行って、課題作品を見なくてはいけませんでした。一人でせっせと通いましたが、道を間違えたりしても引き返すことができないんです
人から、道に迷ってると思われるのが恐かったんですよ!もう、誰もあんたのことなんか見てないって、と今なら自分に突っ込めるんですけどね。当時は、自分自身が自分の姿をちゃんと見れていないんですから、そりゃあ人の目が恐かったです。もちろん、人に助けを求めるなんてこともできませんでした。
これだけ聞くと大変暗い学生時代だったようですが、内弁慶な性格なんですね基本が。仲間になれた、相手が自分を受け入れてくれたと確信すると、急に態度がでかくなるんです。自分にとっても他人にとってもやっかいなやつでした。
大学の学部では、2~3人しか友人ができなかった私ですが、このサークル活動のお陰で、楽しい思い出をばっちり作らせてもらいました。
でもともかく勉強しなかったので、当初の夢の映画評論家の道も開けず、ジャーナリストへの道など、さらにはるかかなたに消えて行きました。
この展開だと、美容業界に入ったのが挫折のようですが、けしてそんなことはないんです!
だって、今はちゃんと自分をきれいに演出できるので、サークルのOB会だって堂々と参加できるし、どこにお出かけするのも楽しくて仕方ないですから
その上、お仕事ですから、この歓びを人にも伝えることができるんです。
ここで、また努力と持続という私の課題が眼前に立ちはだかっているんですけどね。
どんどん広げていかないと!私の24時間が可哀想ですから。
う~ん、なかなか美容体験に話しが進みません・・・